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歴史を彩った女武者たち [fuzzyな日記]

「女甲冑録」東郷隆氏 図書館で何気なく手にし読んで観た。女だてらに甲冑を身に纏い並みいる武者を恐れさせた女武者たちの短編集の小説である。戦の時代に女性が戦闘に加わるのはよくあることで、戦ぶりもかなりのものでした、その姿に儚さも、そして悲しい末路に皆涙し後世に伝え残る女武者たち。この物語の主人公の六人の女武者たちを紹介します。
女武者の代表格と謂えば、「巴御前」が真っ先に名前が挙がるでしょう、木曾義仲の愛妾「巴」は勇猛な坂東武者たちを相手に組み打ちに比類の強さをみせ、鬼女と恐れさせた女傑である。華美な甲冑、駿馬に打ち跨る姿は美丈夫そのものでした。義仲討たれた後は、信州に逃れ菩提を弔い90歳まで生きたとも、鎌倉に召され勇猛な女傑ぶりに、鎌倉の有力武将和田義盛が頼朝に願い、妻に迎えたとも云われているが定かではない。
常山御前(鶴姫)>備中守護三村元親の妹御、常山城主上野隆徳の正室である。小早川・宇喜多勢相手の籠城戦に備前長船の槍をもって敵将を討ちとる存分な働きをみせるも、刀を口にくわえて打ち臥す壮絶な最期を遂げた女武者。
田鶴姫>今川氏譜代の引馬(浜松)城主飯尾連竜の妻、今川義元が桶狭間に於いて織田信長に敗れた後、徳川勢に攻め寄られる引馬城、落城間際に夫連竜の鎧直垂をまとい顔には朱塗りの面頬を付け、得意の強弓を放ち立ち向かうも、壮絶な討ち死にを遂げる。寄せては首を取ろうとするが、女武者であったゆえ首を取らぬが作法とねんごろに弔われた。
甲斐姫>武蔵忍城主成田氏長の娘御、小田原北条氏の重鎮である成田氏の守る忍城に石田三成率いる豊富軍が大軍をもって押し寄せ得意の水攻めを仕掛ける、甲斐姫自ら甲冑をまとい家臣一同を鼓舞し石田勢と果敢に戦うも、降伏開城となる。成田氏は蒲生氏郷に御預けとなるが、秀吉が甲斐姫に興味を抱き寵愛され大名に服せられる。戦いでは、三成・長束正家に煮え湯を飲まし、戦後は成田氏の復権を果たす大働きの女武者。
ゆきの方>伊勢安濃津城主富田信高の正室、関ヶ原開戦直前、東軍に属した富田氏は西軍に攻められての籠城戦を強いられる、信高奮闘 ゆきの方も病弱ながら甲冑まとい得意の槍を振るい良く戦うも落城降伏する。ゆきの方は後日関ヶ原の頃伊勢で儚く世を去る。彼女の奮戦ぶりは語り草として伝わる。
鶴姫>室町末期、伊予河野一族三島氏の娘御、大山祇神社の巫女武士として周防大内氏と戦い、御龍神女と恐れられた女武者。女警護衆と共に獅子奮迅の戦いをするも、大三島水軍が大内水軍に敗れ大将三島安成が戦死、許婚の死を知り入水し世を去る。大山祇神社威勢服する頃には大三島を攻めた大内氏・陶氏・白井氏は後毛利氏に滅ぼされ跡形もなく、鶴姫の御神慮と謂われる。
壮絶な討ち死にや儚く世を去る女武者たち、その姿に打たれ後世まで読む者を魅了します。昔の女性は弱い者のように感じますが、実は現代と変わらず強いのです、いつの世も「男勝り」は存在したのですね、また偶然なのか三人「鶴姫」が登場します、鶴は大きく美しい鳥です、その姿から容姿に恵まれ、美丈夫な女子に「鶴姫」と名付けたと謂われるようです。
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