SSブログ

最強軍団>赤備え&チームパシュート [fuzzyな日記]

va.jpg
連日楽しんだバンクーバー五輪も間もなく閉会式を迎えることになりました、日本選手団を応援し続けましたがもう終わりですね(おっと、女子スピードスケートの団体追い抜きパシュートが残っていました、世界ランク3位の日本自分でも期待の種目としていたのに・・・ベスト4で準決を迎えます、ランク1位のカナダ2位のロシアがまさかの敗退で、準決勝のポーランドに勝てば銀メダル以上が確定します、しかしWランク9位と格下のポーランドですがロシアを破り侮れません、タイムも日本の3:02:89とは0.01秒差の3:02:90なのです、また一方の準決勝のドイツは3:01:95、アメリカも3:02:19と日本を上回っています、メダルの期待も有りますが力を出し切ることで、メダルが付いてきます、がんばれニッポン!)

オリンピック期間でも、好きな歴史小説は暇をみては読んでいました、やはり歴史ものは面白い。ふと気が付いた
歴史小説を読んでいると、「赤備え」の軍団が登場する。甲冑や旗指物そして武具を朱塗りに統一した軍団です。
「赤備え」は最強軍団として敵に脅威を与える存在で戦場では一際目立ち、精鋭を揃えないと敵の標的になり、壊滅的な状況に陥る危険性のある軍団なのです。*赤は敵も味方も興奮させてしまう効果がありますからね。
「赤備え」は武田軍の甲山の猛虎として畏れられた飯富虎昌が始めたとされ、その没後、弟の山県昌景に引き継がれ、武田軍の中心的最強部隊となります、赤備えは武田家の象徴的部隊なのです。「山県の赤備え」は所謂本家なのです。確かではないが、赤備えは山本勘助が鍋島の赤備えを武田家にもたらした説もある、また武田家には五色の備えがあり、有力武将がそれぞれの色で軍団を率いたともされ、赤備えはその中で先陣をつかさどった飯富家があまりの強さに、いつしか武田と謂えば赤備えと言われるようになったとも伝わります。映画「天と地と」でも、武田の赤に対し上杉の黒で統一された具足が用いられ、やはり赤は武田の象徴の色なのですね。

*具足(甲冑など戦闘服・武器)は高価な物なので、足軽には「お貸具足」として領主や有力武将が用意し貸与えます。
武田氏が勝頼の代で滅ぶと、武田家家臣の多くは徳川家に召抱えになり、山県家の家臣は井伊家に引き取られここで「井伊の赤備え」となり継承されていきます。徳川家重臣で彦根城主となった井伊直政は武勇に誉の高い武将で、豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」で井伊家の赤備えは大働きの武功をたて豊臣軍に「井伊の赤鬼」と恐れられました。井伊家の赤備えは幕末まで続けられましたが、過日の最強ぶりは無く、長州征伐の際は標的にされ、具足を脱ぎ捨て潰走したと伝わります。*強いうちは良いのですが、そうでなければリスキーな赤備えなのでした。
他に赤備えで有名なのは、真田幸村こと信繁が、大坂夏の陣で率いた「真田の赤備え」ですね、精鋭を率いての天王山口の戦いで中央突破を図り、家康本陣にあと一歩まで肉薄、家康を驚愕せしめた「真田の赤備え」真田幸村と共に歴史に名を残しました、真田信繁を賞し「日本一の兵(つわもの)」と言わしめました、赤備えと聞けば、真田を連想させる方が多いのではと思います。真田氏は武田家の家臣団に属していましたので、「真田の赤備え」も「武田の赤備え」を継承した正統ですね。
その他の武家でも、赤備えをした軍団があったでしょう、後北条は五色の軍団を揃えていました、白・黒・赤・青・黄の五備えで、各方面部隊で色分けされ、赤は北条綱高(甘粕城主)有名な北条綱成は地黄を担当したと言われています。ついでに、奥州伊達家の黒備えも有名ですね、大坂夏の陣で真田の赤と伊達の黒が相まみえましたことが連想されます。
「赤備え」は赤で統一された軍団をさし、赤づくめの武将は「朱武者」と呼ばれます、武将では人気の「前田慶次朗」が有名ですね、赤の具足に朱の大槍で天下無双の働きをする武辺者、今では大人気の武将ですね。
3538806 3538808           井伊直政所有「井伊の赤備え」           「真田信繁の兜」

これからも、スポーツや歴史など、きままに(FUZZYに)記事を書いて行きます、宜しくお願いします。
*コメントやNICEを頂いたことに対して礼を欠いています、ご容赦ください。
nice!(26)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。