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歴史のライバル?>上野寛永寺と芝増上寺 [fuzzyな日記]

歴史上のライバルは、武将などの人物だけでなく、寺社仏閣にも有るのです。今読んでいる小説での話ですが成るほど確かにライバル関係とも謂えるのです、あくまでも私の読んだ本での話です。
上野:寛永寺と芝:増上寺 共に徳川将軍家の菩提寺(霊廟)として権勢を誇った寺院なのです。
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天台宗総本山:東叡山寛永寺
徳川家光が開基、開山は天海僧正、江戸の鬼門に造営された将軍家の祈祷所であったが、4代家綱の墓所を造営し、その後菩提寺となる。17世紀3代管主を皇族から迎えるようになり、日光山山主・比叡山座主を兼ね天台宗大本山となる、管主は代々輪王宮(三山管領宮)が務める。幕末戊辰戦争時に彰義隊が上野山に籠り、新政府軍と戦になった上野戦争で根本中堂を始め伽藍が消失し弱体する。
15代将軍の内、6将軍の墓所を造営(4代家綱・5代綱吉・8代吉宗・10代家治・11代家斉・13代家定)
家定夫人の天璋院篤姫も葬られている。顔触れは豪華ですかね、御犬公方綱吉に暴れん坊将軍吉宗、大河ドラマでヒロインとなった篤姫がいます。
増上寺が在るのに家光は寛永寺をなぜ開基したのでしょう、天海僧正の進言も有ったと思いますが、父の2代秀忠と同じ処に葬られるのを嫌った、また2代秀忠を否定しているとも思えます。家光の遺骸は遺言により、当初増上寺に葬られ、その後日光輪王寺に改葬されました。
三縁広度院増上寺
室町時代に開基された寺で麹町辺りに在ったが日比谷に移転、その後芝に江戸の裏鬼門として家康により移転させられた、本来の徳川将軍家菩提寺(霊廟)である。菩提寺になった経緯は家康が江戸入府の際にたまたま家康が通り掛かり、源誉存応上人と知り合ったからとされている。
2代秀忠の墓所が設営され徳川将軍家菩提寺となるが、寛永寺が家光の代に開山され新たに菩提寺になり交代で将軍の墓所を造営するようになる。交代なら1代置きでないのか、疑問ですね。
こちらも6将軍の墓所を造営している(2代秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂そして和宮も葬られています。
上野寛永寺と芝増上寺は宗派が異なります、寛永寺は天台宗、増上寺は浄土宗、宗派はあまり関係ないのですね。ちなみに、初代家康は当初駿府久能山東照宮に葬れ、その後東照大権現として日光東照宮に改葬され祀られています、3代家光は同じく日光輪王寺大猷院に祀られています。*ここで家光の家康実子説が出てきます、家光の守袋に「二代権現・二代将軍」と書かれた紙が入っていたとのこと、ゆえに二人だけが日光に祀られていると謂われています。15代慶喜の墓所は?仏式でなく神式で葬られ寛永寺墓地に在ります。
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また廟所は高野山にもあり、東照宮は上野・仙台始め各所にあります。増上寺の建造物は、プリンスホテル敷地内に存在します、西武により所沢不動山にも移築されています。訪ねる旅も面白いかも知れません。

スポーツ好きの私は冬季五輪が終わり、なぜか選手でもないのに燃え尽き症候群のようです。明日はサッカー日本代表戦がありますが、気持ちが盛り上がりません。野球が開幕までこんな調子なのかな、春よ来い早く来い。
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コメント 4

moz

これも歴史の謎? なのでしょうか・・・。確かに家光が家康の子供だとすると、そんなことも考えられるのかもしれませんね(話の通りはすんなり)。
普通、菩提寺は先祖代々同じものなのでは。
こういう、ライバルも面白いですね。 ^^
燃え尽き症候群ですか? でも、オープン戦は始まりましたし、球春はすぐそこ。我Gは今年はどうなんでしょう? ピッチャーが少し心配です。
by moz (2010-03-07 06:50) 

fuzzy

mozさん、家光が家康の実子ではないか?歴史ミステリーは、興味が尽きません。天海僧正の家光への影響力は凄い物が有ります(春日局も同様です)この辺も光秀説が出てくる背景ですね。
オープン戦はパのエースは誰も順調に仕上がってます、Gは打線はまだピリッとしないですね、新人長野は目立っています、満塁Hを含めしぶとく結果を出しています、嬉しい悩みですが外野陣をどう組み立てるか、頭が痛いでしょうね。投手陣は左投手次第でしょう、山口の先発は?ですけど、セットアッパーは大丈夫ですかね。
by fuzzy (2010-03-07 12:22) 

ノリパ

それがしが読んでいる小説も、ライバル関係になってます。
やっぱり公然の事実なんでしょうね。天海僧正は、興味が尽きない
ですね。
by ノリパ (2010-03-07 19:04) 

fuzzy

長尾宇迦『戊辰秘策 小説・輪王寺宮公現』を読みこの記事にしました。
天海僧正は明智光秀、そう信じたいです、その方が面白いですね。歴史研究家に怒られますかね。
by fuzzy (2010-03-07 19:19) 

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